RICOH リコ−フレックスZ


生産合理化、図面どおりの製造

リコ−フレックスの初期型はV型である。このカメラを基本として12機種のリコ−フレックスが誕生するわけだが、その基本はなんといってもV型である。

設計者は、戦後のカメラ史に名前を残すであろう藤本栄氏である。藤本氏は小西六(コニカ)より引き抜かれてきた人である。とにかく図面どおりに作ろうが合い言葉で、図面どおりが結果的にコスト削減と効率化につながったということである。これは今考えれば当たり前の事であるが、当時は、ご存知のとおりAからZまであったという二眼レフメ−カ−、そのほとんどが四畳半メ−カ−であり、町工場の現物合わせが基本であったという。
そんな中で、本当に図面どおりに設計したメ−カ−だけが生き残り、結果的に35mmカメラへの移行が成功していったのではないかと思う。

このカメラはご覧の通りビュ−レンズと撮影レンズがギアで連動するという前玉回転式である。これは国産ではこのV型が初めてである。
レンズは、あの有名な富岡工学、3枚玉のトリプレットタイプ80mmF3.5である。前玉の両面、中玉の前面にコ−ティングを施していた。これは当時は画期的な事であったという。
シャッタ−はB、1/25、1/50、1/100の3速でしかなかったが、当時のフィルム感度からすると、これで不自由は無かったのかもしれない。
その他の特徴としては、フィルム装填の際、マガジン中枠を取り出して装填するという変わった物であった。

V型の発売は1950年3月である。定価はケ−ス付で7,300円。これは当時破格の値段であった。他社の二眼レフはほとんどが2万円以上していたからである。当然人気爆発、売れに売れまくり、当時では珍しい大量生産を行った。他のカメラがせいぜい月産数百台程度なのに、最初から一万台以上を生産したという。シリ−ズ合計では100万台を突破したというからすごい。

このV型はマイナ−チェンジを繰り返しながらW、Y、Z、Zs、ZM、、、と続くが、今回はZ型のお話である。
V型より4年後、つまり1954年にZ型が発売された。ピントフ−ドにコンツ−ルファインダ−を付けたもので、その他は基本的には変わっていない。このコンツ−ルファインダ−というものは、初めて聞く人も多いと思うが、片方の目でファインダ−枠を見て、もう片方の目で対象を見て大脳内で重ねて見るというもの。これは口で説明してもわかってもらえないと思うが、実際やってみるとなるほどと思うスグレモノである。

みのかんのリコ−フレックスZ型

僕が買った初めての二眼レフである。今から10年くらい前になろうか、値段はたしか7,000円くらい。Z型の値段が、後期の値下げで6,800なので、約40年後に発売時と同じ値段で買ったことになる。
なにしろ中判自体が初めてである。120のブロ−ニ−も初めて。
そもそも赤窓式というのがわからない。とにかくフィルムを詰めて、巻いていくと1という数字が現れたので、不安を抱えながらも撮影した。わかってみると何だそんな事かと思うのだが、最初はそれがわからない。
写りはばっちりである。こんなによく写るのかと感じたが、この時はまだ引き伸ばし機の66のネガキャリアを持っていないのでガラス板二枚にネガをはさんで引き伸ばしていた。
写りがいいと感じるのは大きなフォ−マットのせいでもあるが、やはりレンズがいいのであろう。
それから次々と中判カメラも集まってくるが、リコ−フレツクスZを使っていたこの頃がやはり一番思い出に残っている。

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